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参考作品の引用・紹介を行います
J.K.Rowling 2007Harry Potter and the Deathly Hallows松岡裕子(訳)

「死者を哀れむではない、ハリー。生きている者を哀れむのじゃ。とくに愛なくして生きている者たちを。きみが帰ることで、傷つけられる人間や、引き裂かれる家族の数を少なくすることができるかもしれぬ。それがきみにとって、価値ある目標と思えるのなら、我々はひとまず別れを告げることとしよう」(第35章)
池田晶子 200614歳の君へどう考えどう生きるか

「君は、生きていることは、つらいことだと思っているだろうか。....悪い心になってまで生きなければならない理由なんか、本当はないんだ。このことに気がつくのが怖いから、世のほとんどの大人たちは、適当に悪いことをしながら、悪いことをしている自分をごまかしながら、なんとなく生きてゆくことになっている。」(はじめに 14歳のきみへ)
池田晶子 200614歳の君へどう考えどう生きるか

「遅かれ早かれ、死の恐怖と対面し、これを克服しなくちゃならない。今すぐでなくてもいい。でもそれはいつか必ずしなくちゃならないことだ。」(はじめに 14歳のきみへ)
池田晶子 200614歳の君へどう考えどう生きるか

「愛と好きとは違うんだ。愛は感情じゃない。愛は、好き嫌いを超えたもの、それがそこに存在することを認めるということだ。受け容れるということだ。....憎しみで苦しみたくないのなら、君は、愛するしかないんだ。」(友愛)
池田晶子 200614歳の君へどう考えどう生きるか

「男でも女でもない、あるいは男でもあり女でもある共通の主語は、「人類」だ。「人類」という主語で語れる本当に大事なこと、すべての人に共通する本質的なことだけを、考えて、語るようにしようじゃないか。」(性別)
池田晶子 200614歳の君へどう考えどう生きるか

「幸福こそが、すべての人の「人生の目標」ということだ。」(幸福)

幸福は、生きる為に必要な最低限度があって、それ以上は意味を為さないと思われる

池田晶子 200314歳からの哲学ー考えるための教科書ー

「自分が思っていることが、ただ自分がそう思っているだけではなくて、本当に正しいことなのかどうかを知るためには、考えるということをしなければならないんだ。」(2章)
池田晶子 200314歳からの哲学ー考えるための教科書ー

「もしもそれを知らなければ、間違った、とんちんかんなことを続けながら、一生を棒に振るかもしれないとしたら、やっぱり本当のことを知りたくなる」(3章)
池田晶子 200314歳からの哲学ー考えるための教科書ー

「生きることはあくまでもその人の自由なんだ。生きたくなければ死ぬ自由はあるんだ。....それを家族と仕事のせいにしているだけなんだ。」(17章)
池田晶子 200314歳からの哲学ー考えるための教科書ー

「食べるために生きるのか、生きるために食べるのか。」(17章)
池田晶子 200314歳からの哲学ー考えるための教科書ー

「誰もが自分が大事で、プライドがあると思っているけど、それなら他人に侮辱されても腹は立たないはずだよね。....もしそうでないなら、自分の価値より他人の評価を価値としていることになる。するとそれは自尊心ではなくて、単なる虚栄心だということだ。」(18章)
池田晶子 200314歳からの哲学ー考えるための教科書ー

「生きる苦しみや死ぬ怖れに出合って、人はそのことの意味は理由を求める。そうしなければ、その苦しみを納得できないと思うからだ。」(18章)
Pardraic Colum 1955北欧神話尾崎義(訳)

「「なぜ、この動物の命をとってしまったのだ?」と、オージンは言いました。「私のいたずら心がさせたことだよ。」と、ローキは答えました。」
Pardraic Colum 1955北欧神話尾崎義(訳)

「金がほしいという気もちはおさえられました。けれども、アースガルドの神々は、あの女たちが巨人の国からやってくる以前のように幸福には、二度とふたたびなれませんでした。」
Max Lucado 1997You Are Specialillustrated by Sergio Martinez 松波史子(訳)

「あの子が心に決めたからなんだ。ウイミックたちよりも、私がどう思うかの方がたいせつなんだってね。」
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「やさしく親身になって声をかけてくるかと思うと、腹だちまぎれにあたりちらしてくる先生たちもこわかったし、笑い者にし、どれほど不器用で弱虫かを思い知らせようと、どんなチャンスも逃さないクラスメートもこわかった。バスチアンには学校生活がはてしなく長い囚われの刑に思えた。」
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「ごくありきたりの一生の、ごくありきたりな事がらが、不平たらたら書いてあるような本は、きらいだった。そういうことは現実にであうことで十分だった。そのうえ何を今さら読む必要があっただろう? まして、何か教訓をたれようという意図に気づくと、腹がたった。事実、その種の本というのは、それがはっきりわかるかぼやかしてあるかは別として、常に読者をどうにかしようという意図で書かれているものだ。」(1章)
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「人間どもを支配するのに虚偽くらい強いものはないぜ。人間てのはな、ぼうず、頭に描く考えで生きてるんだからよ。そしてこれはあやつれるんだな。....ひょっとしたら、人間にいりもしないを買わせる役にたつかもしれん。それとも人間が知らないものを憎んだり、盲目的に信じこんだり、救いであるはずのものを疑ったりするのに役だつかもしれん。」(9章)
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「すべての虚偽は、かつてはファンタージエンの生きものだったのです。....かれらはそなたたちのまことの姿を見たゆえに目を開かれ、自分の世界や同胞もそれまでとはちがった目で見るようになりました。以前には平凡でつまらないものとばかり見えていたところに突然驚きを見、神秘を感じるようになりました。」(11章)
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「汝の 欲する ことを なせ」/ "Do What You Wish"(11章)
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「....何もかもぼくが想像できることなんかよりずっとすごくて、しかも本物なんだ。それでいて、みんな、ぼくが望んではじめて出てくるんだ。」(15章)

創造者は世界の全てを作るわけではなく、寧ろ存在の為の場を作るのみ。色、美しさ、五感を伝わるものは観測者が作り出す。

M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「物語は新しくても大昔のことを語ることができるのです。過去は、物語と共に成立するのです。」(15章)
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「それは、あなたさまが真に欲することをすべきだということです。あなたさまの真の意志を持てということです。....いくつもの望みの道をたどってゆかれることです。一つ一つ、最後まで。それがあなたさまをご自分の真に欲すること、真の意志へと導いてくれるでしょう。....この道をゆくには、この上ない誠実さと細心の注意がなければならないのです。」(15章)
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「望みとは何か、よいとはどういうことか、わかっておられるのですかっ!」(15章)
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「賢いというのは、何事をも超越して、だれをも憎まず、だれをも愛さないことでございます。」(21章)
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「一つ望みがみたされると次の望みへ走り、一瞬も心の休まる時がなかった。そのどれ一つとして、心に安らぎと満足を与えてはくれなかった。」(21章)
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「ここの連中は、記憶をすっかりなくしちまった。過去がなくなったものには、未来もない。....こいつらには、変わりうるものが、もうないのさ。自分自身がもう変われないんだからな。」(23章)
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「おれたちゃ命令がほしいのさ。指図してもらいたいのさ。強制してもらいたいのさ。禁止してもらいたいのさ! おれたちゃ、なんか意味のある生き方をしたいのさ!」(25章)
M. Ende 1979はてしない物語 / The Neverending Story上田真而子 佐藤真理子(訳) / translated by Ralph Manheim

「生きる悦び、自分自身であることの悦び。....世の中には悦びの形は何千何万とあるけれども、それらはみな、結局のところたった一つ、愛することができるという悦びなのだと。愛することと悦び、この二つは一つ、同じものなのだ。」(26章)
上橋菜穂子 1996精霊の守り人

「あの状況では、つづいてとびこまねば、皇子をたすけようとしなかった罪に問われただろう。ーーバルサは、そういう選ぶ道のない人の死がたまらなくいやだった。」(1章1)
上橋菜穂子 1996精霊の守り人

「心配するな。わしは、よその国の神話だからといって、それを頭から馬鹿にするほど、馬鹿じゃない。どこの国の人でも、みな、気が遠くなるほど長い年月をかけて、この世のほんとうの姿となりたちを知ろうとしてきた。」(2章5)
上橋菜穂子 1996精霊の守り人

「逆の立場だったら、自分もああいう顔をするのだろうか、と、シュガは自分に問うてみた。ーーそんなことはしないだろう、と思う反面、いや、やはり、ひどくねたむだろう、とも思われた。」(3章2)

自分の行動にも意志の外にあるものは多い。私が気にするべきは意志の内と割り切るべきである。しかし、事を複雑にするのは意志によって行動の内外が変わりうる点と、意志外の感情や行動も意志と時間経過によって変わりうる点である。何もかも意志の内に必要な訳でも、意志外のものが意志に沿う必要も無い。

上橋菜穂子 2000夢の守り人

「あいつは、ひどくさびしいやつで、いつも自分の人生を、今いるところまでだと思ってる。先を夢みていないから、命をかける瞬間の思いきりがちがう。....おまえは先を夢みてる。この先の人生をたのしみにしているだろう? おまえが命をかけるのは、こうせねばならぬからというという信念のためだ。....きっと、おまえは自分の信念のために死ぬだろうよ。おまえは、そういう馬鹿だ。」(1章3)
上橋菜穂子 2000夢の守り人

「....ここは、なにもない夢の中だ。夢だと気づいてしまっても、....死ぬまで眠っていたいと、思えるかい?」(3章2)
上橋菜穂子 2000夢の守り人

「傷つけられたとき、だれも恨まずにいられる人は、いないだろ。それは心のやさしさとは、また、別のものだよ。それに、夢の中では、人の想いは、恥ずかしいほどに、むきだしになるだろう? おれは、その方が、わるい人だといってるわけじゃない。ただ、ここは、だれもがもっている、心の奥底の暗い部分が、むきだしになるところだといってるんだよ。」(3章2)
上橋菜穂子 2000夢の守り人

「バルサならぜったいに、こんなふうに夢に逃げたりしないだろう。ーーそうしたい、と思っても、けっして、逃げないだろう。」(3章2)
上橋菜穂子 2000夢の守り人

「ふつうの人には見えない、その世界こそが、真実の力ある世界なんだと思い込む。(中略)……いつか、おまえも知るだろう。魂の見えない、ふつうの人びとのしたたかさを。ーーあたりまえの日々を生きていける人びとの、強さをさ。」(終章)
上橋菜穂子 2004精霊の木

「『彼は、後世に偉大な芸術をのこせたのです。それだけは、いつまでも生きつづけるのです』っていうだろ。でも、じゃあ、その他おおぜいの人は、どうなるんだ? なにかをのこせた人は価値のある人生を生き、そうじゃない人はむなしいのか?」
上橋菜穂子 2010獣の奏者 外伝 刹那

「かつては当然のことと思えた刹那の生が、恐ろしい。いまの暮らしが消え去ることが。 闘うことすらできぬ無辺の闇を見つめて、ただ消えないでくれと祈るしかないことが。」
J. R. R. Tolkien 1954The Lord of The Rings瀬田貞二, 田中朋子(訳)

「死んだっていいとな! たぶんそうかもしれぬ。生きている者の多数は、死んだっていいやつじゃ。そして死ぬる者の中には生きていてほしい者がおる。あんたは死者に命を与えられるか? もしできないのなら、そうせっかちに死の判定を下すものではない」(過去の影)

歴史に残る極悪な行為を見れば、人の行いによって生きる資格の有無という境界は有ると感じられる。しかし、その為の公正な判断は当人によってのみ成立する。

J. R. R. Tolkien 1954The Lord of The Rings瀬田貞二, 田中朋子(訳)

「でもホビット庄とは言え、あなた方の土地ではない、....垣根をきずいてとじこもることはできても、垣根の中にいつまでも外の世界を入れないでおけはしないでしょう。」(過去の影)

飢えた人間に盗みの、死ぬ覚悟を決めた人間に殺人の不当さを主張する事は無意味だ。一見理不尽に遭わない為には自分が犯罪を犯さないだけでは不十分である。そして食糧を分け与えるのでは無く高い塀で囲めば、畢竟理不尽が起こる。

J. R. R. Tolkien 1954The Lord of The Rings瀬田貞二, 田中朋子(訳)

(トム・ボンバディルが彼の正体を問うフロド・バギンズに対して)「あんたはわたしにだれかというが、そういうあんたはだれなのかね? あんたはただひとりで、あんた自身で、そして名前なき者ではないかね?」(トム・ボンバディルの家で)

忘れがちだが他者の認知を必要とするのは私達の生存であって存在では無い。名前や身体が明日どう変化しようが当然私は私である。

J. R. R. Tolkien 1954The Lord of The Rings瀬田貞二, 田中朋子(訳)

「この指輪を用い、自らの術も駆使して、モルドールの王を倒したとする。するとかれは、次に自らをサウロンの座に据え、ここにまた一人冥王が出現することになるのだ。そしてこれが、指輪を破壊しようとするもう一つの理由にほかならない。....なぜなら、どんなものもその始まりから悪いということはないのだから。サウロンとて例外ではなかった。」(エルロンドの会議)
J. R. R. Tolkien 1954The Lord of The Rings瀬田貞二, 田中朋子(訳)

「しかし、お前にはもう表面には表れないものがあるんだよ」(指輪、南へ行く)
J. R. R. Tolkien 1954The Lord of The Rings瀬田貞二, 田中朋子(訳)

「哀れなのはわれらすべてだ! そしてこの末の世に生きる者すべてではないか。なぜなら、見いだして失うはこの世の習いだもの。」

憐憫はしばしば不幸な他人を下に見る行為を伴ったり、そう解釈され忌避される事がある。しかし、どんな存在とでも共有できる背景、死ぬ運命を持って生まれた事を共感するにあたって相応しいのは憐憫では無いだろうか。

Ursula K. Le Guin 1968A Wizard of Earthsea清水真砂子(訳)

「一度は振り返り、向きなおって、源までさかのぼり、そこを自分の中にとりこまなくては、人は自分の行きつくところを知ることはできんのじゃ。....人は自ら川にならなければならぬ。その源から流れ下って海に到達するまで、そのすべてを自分のものとせねばならぬ。」(7章)
Ursula K. Le Guin 1968A Wizard of Earthsea清水真砂子(訳)

「自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。....今後ゲドは、生を全うするためにのみ己の生を生き、破滅や苦しみ、憎しみや暗黒なるものにもはやその生を差し出すことはないだろう。」(10章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「....自分たちがだまされていたこと、酔わされたことをついに知ったその時には、やつらはみんな怒りだして、そういうものが楽しめなくなってしまうのさ。....それでも、とにかく身にまとえるんだ。ーーそうなんだ。着られるんだよ。織物は現実のもので、つまらぬ目くらましでもなければ、金の布地の服にみせかけた空気でもない。」(3章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択を迫られた時には。....わしは、ある人生とする人生のどちらかを選ばなければならなくなった。....ひとつの行為がつぎの行為を生み、それが、またつぎを生む。そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな時間が持てなくなる。....ただ、あるという、それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局、何者なのだろうと考える時間をね。」(3章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「均衡を正そうというのではなくて、それを狂わそうという動きのように思われる。....ただ生きたいと思うだけではなくて、さらにその上に別の力、たとえば、限りない富とか、絶対の安全とか、不死とか、そういうものを求めるようになったら、その時、人間の願望は欲望に変わるのだ。」(3章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「よき目的に奉仕する魔法が必ず勝つとは誰にも言いきれない。わしらは、ただ、そうあってほしいと願うだけだ。」(3章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「やつらが悪いことをすれば、同じようにこちらも悪いことをしろというのかい? わしはやつらにかわってやつらの物事を決めてやることはしたくないし、やつらにもこちらのことには口出ししてほしくないね!」(3章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「....ところが、わしらときたら、今いる世界や、人間同士たがいを支配する力を持っており、そうである限りわしらは、木の葉やクジラや風がその本性にのっとって、ごくごく自然にやっていることを、その気になって学ばなければならない。わしらはどうしたら均衡が保たれるか、それを学ばなければならないのだよ。」(4章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「殿よ、何もなさいますな。そのほうが、正しいことであり、ほむべきことであり、立派なことでありますゆえ。何もなさいますな。そうすることがよきことと思われますゆえ。殿がなさらねばならぬこと、それしか道がないこと、ただそれだけをなさいますように。」(4章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「「彼らの頭の中では、色のちがいもものの区別もさまざまな境界線も、すべてぼやけてしまっているみたいなんです。彼らにとっては何もかも同じで、すべては灰色に見えるらしい。」....「ところで、彼らには何が欠けていると思う?」「生きる喜びだと思います。」」(6章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「現実は変えられない。人間を支配する真の力を人間に与えるなど、魔法にできっこないし、それは死についても同じこと。どうせ、何もできやしないんだ。」(7章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「幸いなことに、自分がいつか必ず死ぬということを知っておる。これは人間が天から授かったすばらしい贈り物だ。....それというのも、わしらが持っているのは、いつか失わなければならないとわかっているものばかり、喜んで失っていいものばかりだからさ。わしらにとって、苦の種でもあれば、宝物でもあり、そして天の慈悲でもある、ひとりの人間としてこの世に存在することも、いつまでも同じように続くものではない。変りもするし、なくなりもする。」(8章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「そなたは、ひとつの波を救うために、そなた自身を救うために、海を静め、潮の流れを止めようと思うのかい? 自分の身の安全、その永久の安全を手に入れるためなら、持っている技を放棄し、喜怒哀楽の情を放棄し、日の出、日の入りのあの太陽の輝きが見られなくなってもいいと思うかい? ....みんながしようとしているのはそれなんだ。」(8章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「人びとがどうして、死から自分の肉体の中にもどってくることを考えるのか、そして、そうしたいと思っているうちに、人びとがどんなふうに神への崇拝を忘れ、肉体を粗末にし、狂気に走るようになるか」(8章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「わしらの心の中にいるんだ。裏切者がな。利己心がいて叫ぶんだ。(おれは生きたい。生きられるなら、世界じゅう灰になってもいいぞ!)とな。....だが、そいつの言うことがわかるのは、ほんの少数の人間だけだ。魔法使いとまじない師、吟唱詩人と職人たち。そう、それに英雄がいる。自分自身であろうと努めている人びとだ。」(9章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「「....もしもたったひとりの男の存在が全体の均衡を崩しうるとしても、実際にはそんなことは起こりえないのではありませんか? そんなこと、許されないのでは……。」....「誰が許す? 誰が禁止する?」」(9章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「わしはもう、二度とあの声を聞くことはあるまいと思う。....わしは老いて、為すべきことをすでに為しおえ、今や、己れの死と、身をかくす術もなく、向かい合って立っている。....ここにいたって、わしにはわかるのだ。本当に力といえるもので、持つに値するものはたったひとつしかないことが。それは、何かを獲得する力ではなくて、受け容れる力だ。」(9章)
Ursula K. Le Guin 1972The Farthest Shore清水真砂子(訳)

「....息づく生命の輝きは、いたるところに見える。風にしなう草の葉の一枚一枚にも、ものの影にも、石ころのひとつひとつにも、すべてにそれは見出され、アレンはなにものにもまさる魔法の力をその身に獲得したような気がした。」(11章)
Ursula K. Le Guin 1990Tehanu清水真砂子(訳)

「その真の名まえのなかにお前という人間がこめられているんだから。真の名まえは、本人には強さとなり力になるんだけど、他人にとっては、危険な重荷でしかなくてね。」(2章)
安本美典 1997説得の科学PHP文庫

「悩み多い自己が放逐されて、別の思想をうけいれた形になる。その意味では、悩みはすくなくなる。あるいは、悩みが消える。」
安本美典 1997説得の科学PHP文庫

「将来。「脳内モルヒネ様物質」を、人間の手で、化学的に合成できる日も、やってくるであろう。....そのような薬を、一生飲みつづけて、幸せだったといって死んだ人を、....意味のある生き方だと思えるであろうか。」
安本美典 1997説得の科学PHP文庫

「人間は、自分が何を欲しているのかをたずねられても、答えられないばあいが、しばしば生ずる。そこで、つぎの二つの道をえらぶ。 「迎合主義」ーー他の人びとがしていることだけをする。 「全体主義」ーー他の人びとが、彼に望んでいることだけをする。」
安本美典 1997説得の科学PHP文庫

「現代人は、「快ー不快」の原理によって生きているのではなく、しばしば「自分の人生を意味あらしめるか否か」という原理で動いているのである。」
佐藤道夫 1993検事調書の余白

「世の中、全くついていない人間がいる。」
梨木香歩 1999からくりからくさ

「マーガレットが、真面目な顔で、「全ての人間は『もうすぐ死ぬかもしれない人です」といい、自らの言葉に触発されたらしく少し上気して話を一期一会の思想に移そうとした」
梨木香歩 1999からくりからくさ

「「輪廻思想ですか」....マーガレットにはそういうものはいっさい信じられない。....何とか工夫を重ねて、自分なりにそういう思想を理解しようとするが、理解と信仰は別物だと最初から割り切っている。」
梨木香歩 1999からくりからくさ

「いつも何か張り詰めているようで、時に理由もなくいらいらしている。....感情を理性でコントロールしようとして、とてつもないエネルギーを払っている」
佐藤多佳子 1997イグアナくんのおじゃまな毎日

「ママが怒ったら、あたしだって怒りかえしてやるんだとおなかの中にせっせとエネルギーをためていると、」
佐藤多佳子 1997イグアナくんのおじゃまな毎日

「ザマミローーだ。パパの本も、ママの花も、てんで、いまいましいシロモノだもんね。あたし、何かを大事にしすぎるのってきらい。バカみたいだし、めいわくなんだもん。」
佐藤多佳子 1997イグアナくんのおじゃまな毎日

「愛が芽ばえたわけじゃないのだ。命って大事だと思っただけなのだ。どっちみち、そんな、はずかしいことは、口にできっこなかった。」
中村浩 1972糞尿博士・世界漫遊記

「食糧に恵まれた世界の大国は、日本をも含めて、食糧増産の熱意を失ってしまっている。....世界人口の三分の二は現在でもひもじい状態に生活し、飢餓から抜けだすことができないでいる。こうした苦しい環境の下にあえぐ民族のあせりが、戦争につながっている」
宮本輝 1988避暑地の猫

「貧しい人々の心はゴミ箱のようなものだった。金持ち連中の残していったゴミは、心の中にたまって、憎悪や羨望や虚無や欲望を、それぞれがあるときはつのらせたり、あるときはしぼませたりしながら、元の単調な生活に戻るのだ。」
宮本輝 1988避暑地の猫

「必死の自己防衛は、やがて自分の心で、自分の心をたぶらかしてしまう。やったことをやっていないと思い、感じてもいないことを感じたと思う。」
宮本輝 1988避暑地の猫

「学校から帰ると必ず六時まで店の留守番をさせられる。それは、両親が新興宗教に凝って、長い白髪を肩まで垂らした女教祖にご祈祷を受けなければならないからだった。」
宮本輝 1988避暑地の猫

「姉は、ぼくの話に興味を抱いたのではなく、中古のギター欲しさに、何の恨みもない猫を殺す役目をあっさりと引き受けたぼくから、多くのものを感じていたのに違いない。」
宮本輝 1988避暑地の猫

「「愚か」は悪だ。では何が人間を愚かにするのか。それは感情にとらわれた怒りであり、目先にとらわれた狂惑であり、エゴイズムにとらわれた欲望である。」
宮本輝 1988避暑地の猫

「仕方がない、それが人間というものだとうそぶく人は、ぼくを檻の中の珍獣としてしか見ないだろう。その人もまたぼくと同じ珍獣であることなど、決して考え及んだりしない。人間のすべての悪、すべての誤謬の根源がそこにある。人は、他者の宿命を平気で眺めるくせに、自分の宿命を見つめる視力を持っていない。」
宮本輝 1988避暑地の猫

「ところが人間は、この我欲を切る剣をみつけようとはせず、他者を殺める武器でもって、己の我欲を正当化しようとする。」
瀬尾まい子 2004幸福な食卓

「食べるためのものを作って、食べるために働く。単純明快に僕を動かせる気がするんだ。」(幸福な食卓)
夏目漱石 1914こころ

「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を戴せさせようとするのです。....私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」(上十四)

「正解は存在しない」と、簡単に言えるものではない。他者にとって私の存在は日々更新されていく一時的正解の一場面にしかなれない事が恐ろしい。

夏目漱石 1914こころ

「自分に頭脳がある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出す程に奥さんは現代的でなかった。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。」(上十六)
夏目漱石 1914こころ

「私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上ます。然し恐れては不可せん。....私の暗いというのは、固より倫理的に暗いのです。」(下二)
夏目漱石 1914こころ

「こういう風に物を解きほどいて見たり、またぐるぐる廻して眺めたりする癖....この性分が倫理的に個人の行為やら動作の上に及んで、私は後来益他の徳義心を疑うようになったのだろうと思うのです。それが私の煩悶や苦悩に向って、積極的に大きな力を添えているのは慥ですから覚えていて下さい。」(下三)

tolstoyの少年時代。悩みを締出し幸せに後戻りする方が余程苦悩しない。納得を追求することは、不確定を呑むことであって苦悩を完全に消し去らない。

夏目漱石 1914こころ

「倫理とはつまるところ、自分とは何か、自分はどう生きるか、ということだが、それは単に自分一人がどう生きるかということではなく、他人との関係の中でどう生きるのか、ということであろう。」(菊田均 1991 解説 ーー「淋しさ」から「自殺」まで 集英社文庫)
夏目漱石 1914こころ

(漱石の初期の作品について)「「型の如き人間」ばかりが登場する「通俗小説」で「卑近な正義観」を振り回しているだけだということになるが、....現実には存在し得ない原理によって生きている人間にほかならず、その原理とは「善」と「美」の原理以外のなにものでもない....なおそこには「善」と「美」を、あるいは「風雅」や「諧謔」を求めようとする読者一般の欲求が存在する」(江藤淳 1979 漱石の文学 新潮文庫)
作者不詳 今昔物語集 宇治拾遺物語桑原博史(監修) 三省堂

「さばかりの小さき童一人は突き殺させよかし。さようの心ありてこそ、つはものは立ちつれ。….物おぢせずと言ふは、身を思はず妻子を思はぬをもつて言ふなり。」
若木民喜 2015ねじの人々

「そもそもボクは自分のことを知りたいはずなのに。世界だの認識だの… どんどん脱線していく… 自分を知るために、あらゆることを知る必要があるのだろうか?」
若木民喜 2015ねじの人々

「ちょっと考えたり人より物知りなぐらいで、高級な人間になれる訳がない。考えることは考える、ただそれだけのこと。」
市川春子 2012宝石の国

「いない仲間のために 近くの仲間を雑に扱うのやめたほうがいいぜ」(10巻)
照井順政 2017鏡面の波

形を変え繰り返す夢だけが 私を繋いでいる
A. Camus 1969シーシュポスの神話清水徹(訳)

「自明性と抒情的態度との均衡によってのみ、ぼくらは感動と明晰とに同時に到ることができる。」(ある結論を自明な論理で導いたとして、心の自動的な働きに組み込まれる為に必要なのは、時間経過である。時間経過が無意識に働きかけ、私達は納得できる。)
A. Camus 1969シーシュポスの神話清水徹(訳)

「おのれを殺すとは、《苦労するまでもない》と告白すること」
A. Camus 1969シーシュポスの神話清水徹(訳)

「極限まで論理的でありつづけるというのは、ほとんど不可能なことだ。こうして、みずからの手で死んでゆく人びとは、自分の感情の斜面にしたがって、その最後まで滑り落ちてゆくのである。…しかし、真の努力とは、それとは反対に、可能なかぎりその場に踏みとどまって、この辺境の地の奇怪な植物を仔細に検討することなのである。」
A. Camus 1969シーシュポスの神話清水徹(訳)

「魂のなかになにかひとつの運動なり反撥なりが恒常的に存在すれば、同じく恒常的に、運動や反撥は、行為や思考のさまざまな習慣のなかにも見つかるものだ」
A. Camus 1969シーシュポスの神話清水徹(訳)

「自分以外のだれかあるひとりの人間というものは、ぼくらにとっていつまでも未知の人間のままであり、…」
A. Camus 1969シーシュポスの神話清水徹(訳)

「いっさいは意識からはじまり、意識の力によらなければ、なにものも価値をもたないからである。」

自分の好みに人生を貫く価値を見出せるならば、何も考える必要は無いない。そうでないから、疑問が生まれる。それは、自分の好みが如何に頼りないか知っているからである。意識は意志の向きを、無意識は可能の範囲をそれぞれ示し、この2つが重なる所で私達は歩く事が出来る。しかし2つが完全に食い違う心配が要らないのは、意識には、時間を経て意識と無意識の境界自体を動かす作用が有るからである。これは、私達が無意識の量分での行動に後悔する、寧ろ無意識に任せた事に後悔する事から明らかである。

A. Camus 1969シーシュポスの神話清水徹(訳)

「ともかくいつかは死ぬのに、…恐怖に襲われることで、時間こそ自分の最悪の敵だと気がつくのだ。」
A. Camus 1969シーシュポスの神話清水徹(訳)

「死というこの宿命の破滅的な照明を浴びると、無益という感情があらわれる。」
A. Camus 1969シーシュポスの神話清水徹(訳)

「精神の第一歩は真であるものを偽りであるものから区別することだ。」
A. Camus 1969シーシュポスの神話清水徹(訳)

「もしかりに人間が、宇宙もまた自分と同じように愛したり悩んだりすることができるのだと認めれば、かれは世界と和解していることになるだろう。」
荒木飛呂彦 1987ジョジョの奇妙な冒険

「人に対し何かをしてあげるということは全て見返りを期待しての行為だ 人に親切にするのは自分も親切にしてもらうためであり無償の愛というものはない 無償の愛とは天国へ行くための見返りだからだ」
幾原邦彦 2011廻るピングドラム

「きっと何者にもなれないお前たちに告ぐ」「生存戦略、しましょうか」
梨木香歩 2013冬虫夏草

「道標というのは得てしてそういうものである....近くをまず記し、見当をつけさせ、ついで遙かに遠望して一日では到底達し得ないようなこの道の「行き着く先」を教示する。この遠近の距離感が、旅人に旅人たる覚悟を促すのである。」(河原撫子)
梨木香歩 2013冬虫夏草

(魚顔の人を見て)「なんやぬるぬるしとるよ。丸顔やな。ほいで驚いたよな、まんまるの目玉して。あ、こりゃイワナやな、って。うん。わかるけどな、口に出しては云わへん。ほれはしたらあかんことや。....私には非常に教訓になることであった。相手が何ものであるか、確認をとり、エビデンスとし、しかるのちに認知する。....それが、いかに弊害の多いものであるかも、私は薄薄感づいていた。」(茄子)

そもそも私に生理的嫌悪感を呼び起こす物が必ず邪悪である道理は無い。物語に故意にこの理屈を持ち込む事は趣味が悪い。

梨木香歩 2002春になったら莓を摘みに

「....ただひたすら信じること、それによって生み出される推進力と、自分の信念に絶えず冷静に疑問を突きつけることによる負荷。 相反するベクトルを、互いの力を損なわないような形で一人の人間の中に内在させることは可能なのだろうか。その人間の内部を切り裂く事ことなく。....二つ以上の相反する方向性を保つということは、案外一人の存在をきちんと安定させていくには有効な方法なのかもしれなかった。」(子ども部屋)
梨木香歩 2002春になったら莓を摘みに

「彼は戦争中徴兵されたが、銃を持つことを徹底的に拒否した。何度も無理やり持たされたがそのたびに下に落とした。殴られ、軍の監獄に入れられた。 そういう、時代の圧倒的な力の前に、個人がどこまで抗し得るか、個性が抹殺されずに生き延びることがどこまで可能か、ということに私は人ごとでなく関心があった。....すごい勇気だと思う。そういうものを強大な宗教的なバックがなくて、つまり素面で持ちうるというのはすごいことだと思う。」(それぞれの戦争)
梨木香歩 2002春になったら莓を摘みに

「いつもの思い出話より遥かに私は真剣だった。こういう人間の belief にまつわる話には、私はいつでも瞬時にのめり込む癖がある。....私は例えばコソボ紛争の政治的な成り行きにはあまり関心がない。しかしその結果、アレキサンダーたち姉妹が幼い頃に親を目の前で失い、その生い立ちのために特異な価値観を形成するに至った過程には、理解したいという欲求が強く起こってくる。」(それぞれの戦争)
梨木香歩 2002春になったら莓を摘みに

「同じ道徳を共有していないからといって簡単に彼らを非難できないと思う。事はそう単純ではない。 価値観や倫理観が違う人間同士の間でどこまで共感が育ち得るか、という課題。」(それぞれの戦争)
W. Shakespeare 1957King Lear安西徹雄(訳)

「若くていちばん分別のあった頃でさえ、すぐカッとなる性だった。それが今、齢を取って、ことさら我慢がきかなくなった」(一幕一場)
W. Shakespeare 1957King Lear安西徹雄(訳)

「だってさあ、あんた今は、娘の厄介になってる身だもんな。厄介者扱いされたって、文句の言えた身分じゃあるめえ」(二幕四場)
W. Shakespeare 1957King Lear安西徹雄(訳)

(娘を罵倒して)「お前はわが血肉、血を分けたわが娘。いや、わが肉の内に宿る病毒。それでもなお、畢竟、わがものと呼ぶほかない」(二幕四場)

全ての他人はあなたの一部だが、あなたの自由にはならない。

L. N. Tolstoy 1854少年時代北御門二郎(訳)

「....本来私の生活の幸福のためには決して手を触れないで大事にしておかねばならなかった種々の信念を、次から次へと失って行ったのである。 私がそうした苦しい精神活動から得たものは、私の中の意志の力を弱める知性の空回りと、感情の新鮮さや判断の明晰さを損なう絶えざる心理分析癖以外に何もなかった。」
L. N. Tolstoy 1854少年時代北御門二郎(訳)

「私がやった哲学的発見は、大いに私の自尊心に媚びた。私はしばしば自分自身を、全人類の福祉のために新しい真理を発見した偉大な人物だと思い込み、自らの卓越を信ずる誇らかな意識をもって一般凡俗どもを見下していた。しかし不思議なことに、それらの凡俗どもと接触するたびに、私はいつもおどおどし、自分で自分を高く評価すればするほど、ますます他人に対して自分の優越感を表白出来なくなるばかりか、ほんのちょっとした自分の言行に対してさえ、羞恥を感ぜずにはいられないのだった。」
Kate Morton 2006The House at Riverton栗原百代(訳)

「若くて恵まれた人たちでも、冷めた考えをバッジのように身につけている。目はうつろで、そのくせ、頭のなかは知りたいと思わなかったことでいっぱいだ。」
千野帽子 2016人生につける薬webchikuma.jp

「なにしろ、裁判での陳述というものはつねに、「ストーリー」の形で「物語る」以外に、提示の方法がないからです。」
日本建築学会 2022建築雑誌10月号

「一人ひとりのリテラシーに働きかけていかないと、何も変わらないし、ただ体験として消費されてしまうんですよね。それではあまりやる意味がない。」
宮本輝 1984流転の海

「戦争で死ぬくらい馬鹿げたことはないぞ。ええか。わしが『突撃』っちゅうたら、前に進んどるようなふりをして、安全なところに身を隠せ。わしが『後退』っちゅうたら、誰よりも先に逃げ出せ。死ぬなよ。鉄砲も空に向けて撃て。わしもお前らも、中国人に何の恨みもないんじゃけんのお」
宮本輝 1984流転の海

「生きるということさえ苦しいことなのだ。それ自体が戦いであるのだ。彼はそんな思いにひたりつつ、二度と再び、戦争という狂気が世界を駆けめぐらないことを心の中で念じつづけた。」
宮本輝 1984流転の海

「....はるか昔の自分が感じた恍惚と恐怖がふいに湧き起こってきた。俺の人生は残り少ない。熊吾は改めて、死ぬことを恐いと感じた。」
宮本輝 1984流転の海

「たった一回の空襲であっけなく焼亡したように、金や財産や地位や名誉などは、俺の人生にわずかな潤いしか与えはしない。死んでからもなお持って行けるものではないのだ。....残りの人生を、何のために費やせばいいのだろうと考えた。」
宮本輝 1984流転の海

「たった一日が多くのものを決するときもあれば、何年間がまったく無意味なときもある。....自分が何のために生まれてきたのか、漠然とではあるがわかりかけてきたような気がしていた。」
宮本輝 1984流転の海

「死ぬのは必然の成り行きよ。そのために生まれて来たんじゃあらせん。」
宮本輝 1984流転の海

「男とはそんなにも女の体が欲しいものかと思った。....息を荒げて急いでいる根上の横顔を盗み見て、怖気立つような嫌悪感に包まれた。」
宮本輝 1984流転の海

「熊吾は日本人でありながら、日本人が嫌いだった。不思議な民族のような気がするのであった。姑息で貧弱で残虐だ。そして思想というものを持っていない。武士道だとか軍国主義などは思想ではない。哲学でもない。けれども、そうした低劣なものでさえ、人間の心を統率し、整然とした行進を作り出す。」
宮本輝 1984流転の海

「人間を戦争に向かわしめる根源の欲望とはいったい何であろう。民衆はなぜ無力なのであろう。なぜ戦争遂行者の言いなりにならざるを得ず、しかも銃を握った瞬間、平凡な心優しい男たちが残忍な殺人者と化すのであろう。」
L. Frank Baum 1900The Wonderful Wizard of Oz松村達雄(訳)

「だが、やはり、わしは心でなしに、のうみそをさずけてもらうことにしよう。....だって、たとえ心を持っていたって、バカなものは、その心をどうあつかってよいか、わからないからな。」「いや、わしは、やはり心をさずけてもらうことにしよう。....だって、のうみそはわれわれをしあわせにしやしない。しかし、なんといっても、この世の中で、幸福ほどたいせつなものはないんだからな。」
Roald Dahl 1948Someone Like You田口俊樹(訳)

「おお、主よ、われらに強さをーー自分の子供たちを飢えさせる強さを与えたまえ。」(The Great Automatic Grammatizator)
Lewis Carroll 1871Through the Looking-glass, and What Alice Found There高山宏(訳) 佐々木マキ(絵)

「「そうか、じゃいま、お互いをこの目で認めたわけだ」とユニコーン。「おれが存在すると思ってもらえるのなら、こっちもそっちがほんとうに存在することを信じよう。こういう取り引きでいいか?」」
Lewis Carroll 1871Through the Looking-glass, and What Alice Found There高山宏(訳) 佐々木マキ(絵)

「そのつまりが気にくわん! つまりじゃない、つもりじゃろう!」
安藤忠雄他 2003建築学の教科書

「私たちが暮らす住居はあまりに自閉的すぎるのではないか。….つまり客に対し、冷たく他人行儀になるか、わざとらしいほど家族同様に扱うか、いつも判断を迫られることになる。」(松山巖)
安藤忠雄他 2003建築学の教科書

「建築学を学ぶということは、著名な建築家になって、奇妙奇天烈な建築をわれわれの住む生活環境のなかにつくり出し、華やかに脚光を浴びながら、芸術家を気取ることをめざすことではない。」(山岸常人)
中沢新一 2007ゲドを読む。

「古典作品は、作家の個人性を超えた、人類の無意識からしか誕生しないのです。」(『ゲド戦記』の愉しみ方)
目黒将司 2008Pursuing My True SelfPersona 4

"Life goes on with or without you"